溜まっていくウップン。

もうあっという間に10月。
初夏のような日差し。
もうスーパーではクリスマス商品を出している所も。

今日はまた調子が悪かった。
初めて関節が赤く腫れあがった。
「何か嫌だなぁ。」
とつぶやいたら、
夫もため息。

あれから既に3週間。
嫌ぁな感じが日増しに強くなってきている気がする。
気のせいかも知れない、とか
気にしすぎだよ。
とか、思うんだけど、
実際に診断がないから、
毎日どうしても気になっちゃう。

ワタシバカだね。
きっと仕事の所為だよ。
最初に痛み出した時に、
指を無理に引っ張ったり、
やたらマッサージしたりしたのがいけなかったのかも。

未だにいじいじぐだぐだこいているワタシ。。。
嫌だなぁ。。。

人生の価値。

たまたま映画ダーティーダンシングの主題歌を聴いていて、
その後、俳優さんの職歴とかチェックしていた途中、
パトリック・スウェージの亡くなった時の記事を見つけた。
それは、記者がパトリックのお母さんパッツイーさんにインタビューして書いたものだった。

人はいずれ死ぬ、って事は誰だって分かっている。
病気と最期まで闘って死ぬ人もいれば、
人に迷惑をかけて、どんどん衰えていって、生きている価値もないまま病気と闘うより、治療を拒否して早く死ぬ事を選ぶ人もいる。

自分ならどんな選択をするだろう。
夫ならどんな選択をするだろうか。
そして、生きている価値というものは、
どこに基準があるのだろうか。
誰がそれをきめるのだろうか。

パトリック・スウェージが亡くなった時、
パッツイーさんは84歳。

インタビューを受けた時、どんな気持ちだったのだろう。
「息子ががんの事を気づいた時、家族みんなすごくショックを受けました。息子はそれまで大した病気も全くせず、いつも健康そのものでしたから。私達みんな、どん底に突き落とされました。」

そして癌(膵臓癌)と闘うパトリックの事についてこう語っている。
「でも、息子は仕事が出来なくなるその瞬間まで働き続けて、弱音を一度も吐かなかった。絶対に悲しい表情はしなかった。外に出て、活動して、人前に出たって、誰も彼がどれだけ痛みに耐えているか気づきませんでした。」

「(癌の事について)私は知ってました。でも息子はどうしても話さなかった。必ず克服できると信じて疑わず、ずっと希望を持ち続けました。絶対に同情を受けたくなかったから、前を向いて歩き続けたんです。どんなに調子が悪くて、歩く事さえ儘ならない時だって、人目にはわからない。人の重荷には絶対になりたくなかったんです、息子は。」

ここまで読んで、ワタシは思わず胸が詰まった。
そして自分が恥ずかしくなった。

パトリックにとって、パッツイーさんにとって、
彼の人生は最後の最後までダイアモンドの様に大切な、
計り知れない価値のある物だったはず。

最後にパッツイーさんはこう加えた。
「これから息子の映画をもう見る勇気が出るか分かりません。辛すぎますから。自分の子供より長生きするものじゃないですね。今でもこの話をするのはとても辛いんです。息子はあまりに勇敢でしたから。」

歳を老いた自分の母親を残して、逝きたくない。
自分はこんなに強いんだ。
こんなモノに負けて溜まるか、
というパトリックの声が聞こえてくるようだ。

10月5日。

おととい医者に行って、1週間内の症状の経過を報告したら、
新しい薬、ピロキシカムを処方された。
どっちかというと普通の痛み止めに近いのかな。

でも服用2日目ですごい変化。
朝の指のこわばりが出なかった。
痛みが凄く和らいだ感じ。
モービックよりずっと効いている。
てんかん薬との相性もいいみたいだ。
ただ、皮膚が凄くかゆいんだけど。

胃に副作用が出る事が結構あるらしいから、
胃の弱いワタシはちょっと心配だけど、
まぁ専門医に行くまで飲み続けてみるつもり。

副作用等が出たらまた報告します。

サーマスト先生の音楽学校。

今日は、友人が監督したドキュメンタリーの上映会が
フェデレーションスクエアのACMIであったので
夫と行って来た。

Dr. Sarmast's Music School 「サーマスト先生の音楽学校」
という題で、シドニーでの上映とABCでの放映の後、
やっとメルボルンでオリジナル版を見る事が出来た。
これは、アフガニスタン初の音楽学校の話なんだけど、
設立者のサーマスト先生や、学校の教師、生徒たちの声を通して
現在のアフガニスタンの現状や、
音楽に対する反感の強い政治的な環境の中で
音楽をやる事の難しさなど
色々な問題が浮かび上がってくる。

でも、アフガニスタンに音楽を取り戻すという
サーマスト先生の情熱は誰にも止められない。
ここで止める事は絶対に出来ない。
アフガニスタンから、世界でも通用するような音楽者を
出せるようになるまで。
アフガニスタンの若者が、
自由に音楽を出来るようになるまでは
絶対にあきらめない。

友人がこのドキュメンタリーを作り出したのは5-6年前。
初めて撮影の為にアフガニスタンに行くと聞いたときには
『アフガニスタン・イコール・危険』 というイメージが頭から離れなかった。
大丈夫。アフガニスタン出身の友人が居るから。
と彼女は言っていたが、恐らくサーマスト氏の事だったんだろう。

プロジェクトが始まった頃は
廃墟のような、ブルドーザーの騒音で耳が痛くなるような環境で
壊れかけた楽器を使って、
生徒がいつまで経っても同じ教本に従って練習している。
音も割れているし、大きく外れている。

殆どの学生が貧しい家の出身で、
学校へ来はじめる迄は路上でプラスチック袋を売ったりして
小銭を稼いでいたような子供たちだ。
母親が子供達が好きな事を出きる様に、と
有り金をたたいて、授業料を払っている。

学校は少しずつ形を成していくけれど
楽器はないし、建築業者が安い材料で
最低の仕事をする為に、
工事は困窮を極める。
そんな中でサーマスト先生は業者との話し合い、
クラスの授業日程の話し合い、
海外との取引を、
自分も音楽を生徒達に教えながらこなして行く。

その間、サーマスト氏の現在の拠点であるメルボルンでは
奥さんとお子さんが、
遠く離れたカブールで夢と使命を追い続ける氏を、
寂しさに耐えて待ち続ける。
「一旦決めたら誰にも止められない人だから」
と誇らしげに語りながらも、
その複雑な本心はワタシには想像も及ばないものなのだろう。
サーマスト氏は現在も音楽学校の仕事で
カブールに滞在中である。

一方、学校の方は、
ユニセフの介入やアフガニスタンにあるアメリカ大使館の経済援助により、
少しずつ海外からの音楽教育者を迎え入れ、
生徒の音楽の水準もどんどん上がっていく。
授業料も無料にする事が可能となった。

学校の生徒で、アフガニスタン初のオーケストラを作り、
海外のコンサートホールでも演奏活動をするようになっている。

そんな進展とは裏腹に、
アフガニスタンでは最近も、
音楽パーティーをしていた人達がタリバンに惨殺される事件があった。
学校ではそんな懸念を考慮し、
外に音が漏れないように、防音設計がしてあるが、
ドキュメンタリーの中で、
生徒たちは顔を撮られているのだ。
楽器を持ち、スカーフから髪の毛を随分出して登校する女生徒も多い。
少し心配だ。

自信をもち、自分の意見を持ち出している生徒の勇気に感動しながらも、
サーマスト先生の本当の夢が、ゴールに辿り付くまでには
はぁ、まだまだ遠い道のりなのだろうなぁ、と想像できる。

正直言うと今迄彼女のドキュメンタリーは余り見ていなかったんけど、
この作品は私がずっと応援していて、見たいと思っていた。
素晴らしい出来だった。
サーマスト氏だけでなく、彼女の情熱と感情も伝わってきた。
色々と考えさせられた。

上映中、ワタシも途中で胸を突かれて何回か泣いてしまったけど
気がついたら、夫も横で泣いていた。
上映後、友人も撮影の裏側を話しながら少し感極まったようだった。

そうだね、
音楽が、アフガニスタンを変えるかもしれないね。
その希望の光を消さない為にも、この学校の成功を応援したい。



『アフガニスタンでの音楽制限』
8月21日にヘラートの町で予定されていた人気歌手、Shafiq Mureed のコンサートが、ある宗教のリーダーが「反道徳的」と言った為キャンセルされた。ヘラートはアフガニスタンでも文化的に比較的オープンな場所である。
これによって、若者達がコンサート中止に対して反対デモを起こした。
音楽の無いダークエイジに戻るのは許さない!表現の自由はアフガニスタンにもあるべきだ。

栄養のバランスに注意。

風邪ひいてしまった。
その為か、薬の利きがいまいちみたい。
やっぱりここ数日悪い症状が出なかったのは薬のお陰?

あれから、食事を変えて、
砂糖も全く使っていないの。
お菓子のかわりにフルーツを食べている。
お肉の変わりに木綿豆腐を使って料理して、
きのこや大豆、野菜をたくさん食べてね、
お米もパンも全粒のものを使っているの。
もちろんお魚もいっぱい食べている。

その食事療法は確かに関節にはいいんだけど、
重要な事を一つ忘れていた。
私のヘモグロビンと血球のカウントは正常値より下だから、
牛肉は食べなければいけないんだった。
お陰で既に貧血の症状が。。。

もうダメ。。。
今日は身体に力が全然はいんない。
でも栄養を摂る為には料理しないと。
はぁ。。。

10月31日。

どうも長らくお休みしてますが。。。
ちゃんと頑張って仕事には行ってますよぉ。

最近ずっと胸焼けがひどくて、気持ち悪くて
で、ブログは怠けていました。

金曜日に医者に行くんだけど、
本当はどうしようかなぁ、と思っていたの。
指が朝固まる事は全く無くなったし。
5週間も経ったある朝、突然治ったのね。
で、実はこれは職業病だったりして、
と思い始めたの。

でも、やっぱり朝は面倒。
指も手も手首も足首も全部すっごく重くて、
その痛みで目が覚めるって感じ。
だから近頃余りよく眠れないのね。
昼過ぎまでには症状も落ち着いて、
朝の辛さがウソみたいに改善してしまう。
そんな訳で仕事には殆ど支障はないの。

こういうのって、一番しんどい。
何処がおかしいのか、
何処かおかしいのか、
自分でも分からないから、ストレスが溜まる。
そういう事って仕方ない事だとも思う。

うん。
やっぱりお医者はキャンセルしないで、
どうやって症状と付き合っていくか教えてもらうだけでもいいか、と思う。

暖かいコメントくれた人、本当にありがとう。
日本はこれから寒くなるから、
みんなも身体をだいじにしようね。
Profile
齢45になるベテランてんかん患者です。 お仕事はきちんとしながら オフはだらだらと生活してます。 仕事仲間には私が怠け者とはバレてません。 てんかん、っていう以外はまあ、普通。 つまんない冗談とかよく言ってます。

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Author:ふぅみん:D
16歳の時にてんかん発病。
闘病歴24年。(な、長い!)
7年前、オーストラリアのメルボルンでソウルメイトと出会い、8ヶ月後に結婚。

性格:真面目な変人。オープンな性格。時々情緒不安定。
タイプ:エロオヤジ系。
煽てられると調子に乗る。

いつも、ありがとう。

折角ブログを覗きに来てくれる人が居るのに、
サボり癖のついている最近のワタシ。
だけど、結局戻ってくる。
どんなに長くサボっていても
その内にきっと必ず書きたくなるから。

ブログってそんなものなのかも知れない。
もう書き始めて何年になるんだろうか?

ブログと共に、
ワタシも歳をとり。
成長し。(?)
他の人のブログとつながる。

あ、あのヒト、どうしてるかな?
なんて、ワタシも覗きにいく。
毎日頑張って書いているヒト、
ぼちぼち頑張っているヒト、
さまざまだけど、
ああ、頑張っているんだな、って分かるだけで、
一日の終わりに、ワタシに元気をくれる。
ホントにありがとう。
そして、来てくれたヒト、ありがとう。

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